なんでもありっさブログ

見る・聴く・食べる・歌う、なんでもかんでも!

劣化

朝は子どもが目覚める時間に起き、だいたい決まった離乳食の時間に合わせてご飯を用意し、その隙間で洗濯やら散歩やら昼寝やらとこなしていると、あっという間に1日が終わる。

 


子どもに時間を割かれるのは仕方がないけれど、圧倒的に自分の時間がない。

 


「いや、ないのではなく作ればいいのでは?」

 


という方もいるだろうが、毎日ヘロヘロのバタンキューで元気がないのだからどうしようもない。

 


子どもを寝かしつけ終えてふと、

(あ、私はこのまま劣化していくんだろうな)

と思って寂しくなった。

 


劣化が嫌いなわけじゃあない。

 


シワが増えたり、白髪が増えたり、たるんだり、背が縮んだり

「おおいに構わん!」と思っている。

 


心配なのは、中身だ。

 


知識もない、経験もない、鍛錬もない

物事をじっくり考えることもない

自分がすべきことがわからない

 


こんなどうしようもない状態になるのではないだろうか。

 


おそろしい。とてもおそろしい。

 


いつか子育てが終わったら、私はこの世にいる意味がなくなってしまうではないか。それはいかん。

 


何か自分の軸になるものを

仕事以外のもので持たないと。

 


しゃべる仕事はもちろん自分の軸になり得るんだけれど、子育てに時間を取られてなかなか仕事ができなくなると、その軸は簡単に折れてしまうから。

自分を保てなくなってしまうから。

 


だから、仕事以外の何かを見つけよう。

 


音楽?歌?も、なんだかちょっと今は違う。

悲しいかな、最近全然からだのなかに音が流れなくなってしまったから。

 


よし。下手くそだけど「書く」にしよう。

 


何かちょっとずつでもいいから、書こう。

 


「今日はヘロヘロまではなってないな」って日に、何かを書こう。

 

つむいで つむいで かたちにしていこう。

 

軸となる文字が、私の中に走りますように。

 

 

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獣医さんから「むっちりですね」と言われた我が家のネコ。

 

該当者。

年明けからすっかり更新していなかったけれど、もう五月です。

 

我が家の新メンバーの初節句も無事に終え、賑やかな毎日です。「エネルギーの塊」と遊んでいると、もうヘトヘト。なのになんで痩せないんだろ、わたし。(食べてるからだね

 

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にゃん

 

夜明け前の朝3時、子どもがゴロゴロと転がりぶつかってきたので目が覚め、眠れなくなってしまったので久々ブログを開きました。

 

5月9日、本日は母の日であります。

 

私の母は昔からカーネーションの花があまり好きじゃないので(笑)小さい頃はよく折り紙でカーネーションの花を作って渡していました。

 

先日この話をたまたましたら、まだあの時の折り紙のカーネーションあるよ、とのこと。

 

子どもからの贈り物はなかなか捨てられないのかもしれないですね。いざ自分が親になってみて、初めてその気持ちが(少しだけ)わかります。

 

でも、身の回りの物は少ない方がいいんでしょうけどね。ごみ屋敷になっちゃう。

 

 

 

ふと、初めて自分が母の日の該当者になったことに気がついて、少しもぞもぞしました。

 

 

自分のことを考えると、

感謝されるようなたいした存在じゃないのにな(まだ新参者だし)

と思いますが

 

自分の母親たちのことを考えると

人を育てるという、体力も、気力も、時間も、お金もたーーくさんかかる行為を30年以上しているということは

並大抵なことではないのだと感じています。

 

 

いつもありがとう

 

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面と向かっていえないから、ネコに言おう。

2021

晦日の夜は子どもを寝かしつけながら早くに寝てしまい、気がついたら朝。年が変わっていました。

 

元旦も暗いうちから、うちのネコはがちゃがちゃとうるさい(笑)

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帰省を断念したため、あまりにもいつもと変わらない日で、こうやって節目を感じないままダラダラと新しい一年を過ごしそうだなと感じています。

 


それでも、いま隣には寝たままニヤニヤ笑う子どもがいて(笑)昨年の正月とは明らかに違う景色です。

 


我が家は昨年メンバーが増え、チーム力が一層問われるようになってまいりましたが、どんな状況になっても楽しむパワーを備えて、踊りながら?歩んでいけたらいいなと思っています(笑)

 


人間は節目が大好きで、ライフイベントをたくさん作っては多くのことを記憶して自分を忘れないようにする生き物だとわたしは思っているんですが、出産のようなあまりにも大きなイベントが起こっても、案外その瞬間の思い出を懐かしんだり想いにふけったりできないものだなと実感しました。

 


新しい事、やらなくちゃいけない事は次から次へとやってくる。

 


「こまぎれ」というより『ミンチ』と呼んだ方がいい【わずかな自由な時間】

ハンバーグみたいにつなぎ合わせて、ゆっくり、なんの心配もしなくていい休暇がたっぷりあればいいなと思うけど

 


やらなきゃいけないことが目の前にあるほうが、わたしは性に合ってるかもしれません。

 


さあ今日もいろいろと待ってはくれないぞ!

今年もいい年にしましょう!

どうぞ宜しくお願いします。

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2021 元旦

ただいまを言いに行こう。

林家たい平師匠から

お母様がお父様のもとへと行ってしまったと連絡をもらいました。

https://ameblo.jp/tai-hey/entry-12639956927.html

 

私のことも家族みたいに接してくれた優しいお母さんでした。

 

番組の取材で初めてお家に伺ったとき、帰り際「お邪魔しました〜」と言ったら

『ここんちに来た人はみんな家族だからね!「いってきます」って言って出ていくんだよ。また来た時は「ただいまー!」だからね!』とお母さんは言ってくれました。

 

秩父のたい焼き屋さん(ははそ)まで手をつないで向かったあの日が忘れられません。

力強くて温かい手だったなぁ。

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ディレクターの川船さんと帰りのレッドアローに乗って出発を待っていたら、突如お母さんが車内に現れて「これ持ってきな」とたくさんの駄菓子をくれたのにも驚きました。電車の中まで見送りに来てくれてるんだもん!愛で溢れていました。

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初対面だったのに、久しぶりに親戚に会ったような温かい気持ちになりました。

 

秩父夜祭でお家に寄ったときは、帰りのレッドアローに乗り遅れそうで急いで家を出たのに

「はい!これ!帰りの電車で食べな!」とおつまみゲソをそのまま私のカバンの中にねじ込んでくれました(笑)

 

12月で寒くて手がかじかんでいたけど、武甲正宗のカップ酒(熱燗)を飲みながら裸のおつまみゲソをかじって帰ったのもいい思い出です。

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秩父へ公演で訪れたときも、せっかく来たんだからお母さんに挨拶していかなきゃと、連絡なしに突如お邪魔しても嫌な顔ひとつせずに「あがってお茶飲んでいって」と迎えてくれました。

 

ちょっとのはずが2時間くらい居座ってしまって、「ほらこれ秩父名物だから食べてきな!」とイチゴとバナナを出してくれたのも楽しかったなぁ。バナナは絶対秩父名物じゃないと思うけど(笑)あそこで食べると特別な味がしました。

 

見ず知らずのわたしを

家族のように、娘のように迎えてくれた

やさしくてユーモアにあふれたお母さん。

だいすきです。

 

 

「さよなら」の言葉は似合わないから、

コロナが落ち着いたら秩父へ会いに行って

お母さんに届くように大きな声で

「ただいま」と言おう。

出産はダイビングに似ている

「出産はダイビングに似ている」

と、わたしは思う。

 

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小さい頃から泳ぐことが好きで

昔は自分の息を頼りにプールの底で潜水をするのが好きだった。

苦しくなったら浮上して、水の中の世界とはさようなら。

 


でもダイビングは違う。

酸素ボンベを背負っているから、長い時間、水の中を楽しめる。

 


私は自分の息を頼りにするのに慣れてしまっているからか、ダイビングをしようとすると軽いパニックになる。

 

どのように呼吸をしていいのかわからなくなるのだ。

 

口だけで呼吸をする。思わず鼻から吸いたくなって(いけない!違う!!)と焦ったら、おしまいだ。

 


呼吸がうまくいかない。

出産とダイビングは、そこが似ている。

 


海の周波数に合わせていく作業と

陣痛の周波数に合わせていく作業。

 


どちらも呼吸を整えて、あちらに合わせにいかないといけない。

 


もちろんダイビングは痛みを伴わないから苦痛ではないけれど、その呼吸に慣れないと苦行でしかない。

 


出産するときは

夜光虫が光る波打ち際を想像した。

暗闇に青白く波が光る。

 


その中にザブザブと入っていって、頭まで水にドボンと浸かる。

さぁ、深く深くもぐって、迎えにゆくのだと。

 

 

 

わたしはダイビングが苦手だ。

人生で2度ほど潜ったことがあるけれど、どんなに綺麗な世界を見ることができても次の機会がやってくれば「どうしようかな、やめておこうかな」と迷ってしまう。

 


出産はどうだろうか。

また奇跡のような瞬間に出会えるのはとても尊いことだけれど、ダイビングで潜るように気軽に「もう一回!」なんてことはできないと思う。

 

 

 

あの瞬間はもう二度とないことに違いない。

もしまた出産する機会に恵まれたとしても、それはまた別の体験なのだから。

 


潜る海はひとつしかないけれど、

潜る体験はひとつとして同じものはない。

 

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育児の話。

すっかりブログを更新していませんでしたが、今年の夏、8月に出産致しました。

 


すごいですね。

生きとし生けるものの『母』とは、こんなにも逞しい生き物なのかと。実感致しました。

 


生命をお腹の中で育て、それを外の世界へ産み出して…そんな風に身体が組まれていることに神秘を感じますね。

 


さて、出産をしたら次にやってくるのは子育てです。

授乳授乳授乳!げっぷげっぷげっぷ!あやすあやすあやす!それを昼夜構わずやらないといけません。

 


突然ですが、私は子どもの深夜の授乳のことを「夜勤」と表現しています。

 


私にとって【仕事】と表現した方が、やる気が出て、且つドライでいられるからだということにさきほど風呂場で頭を洗っていて気づきました。

 


「母親なんだから、かわいい我が子のためになんでもやらなくちゃ…」「やって当たり前よね!それが愛情だわ」という綺麗事が嫌いというのもありますが(笑)そりゃぁ子どもは文句なしに可愛いですけども。

 


でも「母親だから」という気持ちで臨んでいて、いざMAXで眠いときに、泣き叫んで叩き起こされて「もぉーーーーー💢💢」という気持ちが一瞬でもわいちゃったら、そんな自分に嫌悪ですよ。

 


そこが、「夜勤だ」と割り切れば、ですよ。

子どもが泣き叫んだ瞬間、寝ぼけた顔のまますっ飛んで「はいーーー!!!お客様!!どうされましたかー!!!」となるわけです。

 


「え?お召のおむつが濡れている?失礼しましたー!」「ルームサービスのミルクがまだ来ない??いますぐお持ちします!!」

 


といった具合に、職業なりきりスタイルをとれば、カジュアル?に接することができるのです(個人の感想です)笑

 


たとえ親と子でも、距離を保つって大切です。べったりしてたらお互い身が持ちません。

 


ストレスがたまったら給湯室で豆乳ドーナツでも食べながらボヤいたらいいんですよ。誰のためでもなく、自分のためにコーヒーを淹れてね。

 


手首が腱鞘炎になって注射を打ったり、お腹がだるだるして肉割れしてしまったり、結局体重が元に戻らなかったり、首・背中・腰が岩のようになったり。

 


出産とは身体の変化に加えて、心の変化まであって、すべてが追いつかなくてグチャグチャになるのだなぁとぼんやり思っています。

 


デリケートですね、とっても。

体験してみて初めて、周りの妊婦さんや子育て中の女性を見る目が変わりました。

 

本当に、すごい。

おつかれさまです。


声を大にして言いたいです。

 


みんなすごい。

だから、たまには自分にご褒美してくださいね。

 


がんばりすぎない。が、大事。

 


出産に関わらず、

どんなときも

どんなひとも

がんばりすぎない、が大切なのかもしれません。

 

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すべて忘れてしまうから

最近、朝4時だとか5時に目が覚める。

眠りが足りないというダルい感じはない。スコンと目が冴えて起きるのだから、お年寄りの気持ちがよくわかる。


このところの日の出は4:30を過ぎたころだから、4時に目が覚めてしまうとまだ暗くて「夜」の香りがしている。


特に趣味という趣味もないので、その時々によって時間を潰す方法は変わる。音楽をイヤホンで聴いたり、聴いたことのない地方の早朝ラジオを転々と巡ったり、ただただTwitterを眺めたり、ごく稀に本を読んだり。


たまに我が家のネコが喉をゴロゴロと鳴らしながら「撫でろ」とせがんでくるので、撫でてやる。なので、特別寂しい雰囲気ではない。いつもより時間がゆるやかに流れ、わたしの時間とネコの時間がこの一点で偶然接触しているだけの、静かな静かな時間である。

 


そんな時間にこの本はよく馴染んだ。


「すべて忘れてしまうから」燃え殻


燃え殻さんのエッセイ本。週刊誌で連載されていたエッセイがまとめられたものだ。


燃え殻さんは、自分の昔の引き出しを開ける。それは、おぼろげなタイムマシンのように、少し水に濡らして輪郭が歪んだようにも見える。


あの頃ほど胸は痛まないけれど、消えて無くなるほど消化されたものでもない、心のどこかに突っかかっている記憶たちが、静かな静かなこの時間に綴られている。


これを読むと、私にも同じような記憶たちが、輪郭がぼやけた状態でまだ体のどこかにひっかかっていることに気づく。


私も忘れっぽい性格のため、どんなに辛かったことでも、当時は一生忘れないと思ったことでも、スコンと記憶から無くなっていることがある。


そうしようと思っているわけではなく、なぜかそうなってしまうのだから、あぁ私は生きてるんだなぁと思う。


燃え殻さんのエッセイは、切なく、しょっぱく、儚く...さまざまな味が複雑に混ざり合っていて、まさに本の画を担当された長尾謙一郎さんの絵の世界のような色合いだった。

 


まだ夜が明けるまで時間がある。

ネコもまたどこかで寝てしまったので、わたしの記憶もここに綴ることにしようと思う。

 

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あれは私が契約社員としての出演が最後となる、いわゆる【最終日】

今後も特定の番組出演は続くし、送別会なんて期待していなかったけれど、まさかそんな日に「接待飲み会」に参加させられるとは思ってもいなかった。


先方にお世話になったことは事実だし、今後フリーランスで仕事をしていく自分にとって、何かにつながることもあるかもしれないしと自分に言い聞かせ、結局参加したのだった。‬案の定、なにもつながりはしなかったのだけれど。


みんなで会食したあと、二次会に移り、スナックで飲み直しながらカラオケのマイクが回ってゆく。それぞれの年代を感じさせる選曲で場が盛り上がり、無事、会はお開きとなった。


その会の中で私は何度「なんだかなりゆきで、今後はフリーランスで働くんです」と説明しただろうか。税理士をしている中年男性は、がやがやとうるさいスナックのなかでもよく響く低音で「僕はいろんな有名人を見ているので、今後の相談ならいつでも乗りますよ」と言い、回ってきたマイクを構えて福山雅治を格好つけて歌い上げた。僕はセルフプロデュースできています、と顔に書いているようだった。

 


昨夜いただいた何枚もの名刺のアドレスに、お礼のメールを一応送る。マナーなんて詳しくはないけれど、ありがとうございましたと言われて嫌な気持ちになる人は少ないだろうと思い、若干酒の残る頭をもたげてパソコンを開く。3年間の契約期間の終わりは、こんなにも味気ないものかなと思いながら。


2、3日もすると、何名かから返事が届く。

軽いものから、優しさが伝わってくるものまで、さまざまだ。

例の中年税理士からも長い返事が来ている。中身は私の今後へのアドバイスめいたものが多く、最後に書かれていた一文はこうだった。


「加納さんが書かれていた、局アナ最終日のブログ・お写真拝見しましたよ。お気に入りの服なんでしょうけど、お会いした時と同じ服でしたね。今後フリーランスでやっていくには、そういうところも意識された方がいいのではと思います」


いろいろあった3年間。都会に揉まれ、もがきつづけ、どうにか闇から抜け出そうとあがいた結果、最後の最後がこれか。

ちゃんと呼吸をしてラジオでしゃべることができるようになり嬉しかった日々も霞むほど、先が暗くなった。


普段お礼メールの返信にさらに返事をすることはないのだが、私は力強く「返信ボタン」を押した。


『ブログ読んでくださりありがとうございました。お会いした日が番組出演の最終日だったので、同じ服なのは当たり前ですよね。』


最後に(笑)をつけようか、しばらく迷った記憶があるけれど、おそらくあのひとには何を言っても響かないだろうから、そんなことはどちらでもいい。どうせこちらの話なんて、なにひとつ聞いていないのだから。


まさか番組出演最終日に「接待飲み会」にくるなんてことはないだろうと思っていたのかもしれない。それもそうだ。どこもかしこも、おかしさで溢れている。

 


ようやく外が白んできたようだ。

今日も、曇った空からいまにも雨が降り出しそうだ。


はからずして温かいほうじ茶を淹れながら

「すべて 忘れてしまうから」と、呪文のように 唱える。