なんでもありっさブログ

見る・聴く・食べる・歌う、なんでもかんでも!

私のおおきなかぶ

最近うちの2歳児がなかなか昼寝をしない。

 

寝かしつけに関しては、昼夜共に、手を替え品を替え頑張っているけれど(昨年は歌をうたうチャレンジをした)、効果があるのは決まって「やり始め」だけだ。

 

同じパターンにだんだんと飽きてくるのだ。

そりゃないぜーー。それに慣れて寝てくれなきゃ困るよーー。と思うのは親の都合でしかない。

 

「歌、うたおうか?」

『うた、きかない!』

と返ってきたあの日、咄嗟の判断で、おとぎ話をする作戦に切り替えたのだ。

 

最初はスタンダードに「桃太郎」

 

当たり前に知っているつもりで話し始めたが、人の記憶というのは曖昧で、ざっくりとしかストーリーを覚えていない。

途中で子どもに向けた言葉選びも混乱して、内容がぐちゃぐちゃとしてくる。

 

(あれ?桃太郎からおばあさんにきび団子を所望するんだっけ?ばあさんがかってに押し付けてたっけ?あと犬とサルとキジだっけ?いや、サルなんていたっけ?それってサルかに合戦だっけ?てかどの順番で出会うんだっけ。てかキジってどうやって鳴くんだっけ。キーンだっけ、ケーンだっけ。もういいや、どっちも鳴いとけ!)

 

てな具合で、キーン!ケーン!と鳴く不思議なキジと一緒にあっという間に鬼退治をして高速で村に帰ってきた桃太郎は村人から大絶賛された、という子ども向けにしてはちょっと不思議な言い回しをしてしまうのだった。

 

桃太郎の次の日は「浦島太郎」

その次の日は「ヘンゼルとグレーテル

その次の次の日は「シンデレラ」

 

どのお話も曖昧で、私の創作ストーリーが半分くらい入ってしまっているからか、子どももキョトンとして聞いている。

 

いよいよお話のストックがなくなってしまい(少ないな)、頭に浮かんだのは絵本「おおきなかぶ」の表紙絵だ。

 

(あの話なら「うんとこしょ、どっこいしょ」とカブを抜けばいいんだから簡単よ!)

 

『ある日のこと、おじいさんは畑で大きなカブを見つけました。』もはや植えてもいない。

 

そのあと、おばあさんは娘を呼び(本当は孫)、架空の登場人物「弟」が飛び出し、犬ネコねずみはきちんとやってきたが、みんなで抜いたカブはスープにして飲んだことにしてしまった。

 

その話を聞き終えた2歳児の感想が

『えー すーぷ、のみたい』

 

どうしよう、誤った情報を与えてしまった。

 

やっぱり本物の絵本なり、本を読んであげないといけないかな。

 

わたしの創作ストーリーは既存のものに頼ったものでなく、フルストーリーオリジナルで聞かせてみよう。

 

自分が創ったものならば、キジがアラレちゃんのようにキーンと鳴いても、見知らぬ人物が一緒にカブを抜いても、全く問題ないのだから。

 

それでも、こどもは寝ぬ。

 

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「何描いたの?」「おか(あ)さん!」

寝かしつけチャレンジ

最近我が家の一歳児はなかなか寝ない。

 

20:30には寝室へ行くものの、寝るのは22:30とかになってしまう。

 

その間、2時間も真っ暗な寝室で、

寝たフリを決め込んで目を閉じ、微動だにしてはいけないという苦行を強いられている母であります。

 

そんなこんなでストレスMAXなので、ひとからアドバイスをもらうのも素直に受け入れられないほど、心がガサガサになっていることもあります。

 

ただ先日

「絵本を読むとか、お話をしてあげるとか、歌をうたってあげるとかーーを寝る前の習慣としてすりこんでいく方法もあるよ。ま、全く効かないこともあるけど」と聞き、

 

(ま、全く効かないこともあるけど)

 

という言葉になぜか救われたので、

物は試しと、まずは【歌】作戦をやってみることにしました。

 

 

はて、なんの歌をうたおう。

 

ねんねんころりよ…はメロディが物悲しい感じがするし、かと言って流行り歌もなんだか違うし(疎くて知らないし)

 

私が自信をもって歌える曲といえば…「#河内おとこ節」くらいしかないのでは。。。

それだと私も子どもも、眠れそうにないですな。

目がチャキチャキになっちゃう(笑)

 

ということで、

歌詞がうろ覚えだけれど、出産した病院の授乳室でオルゴールが流れていたWhen I Fall In Loveにすることにしました。

 

なんかワルツって眠りを誘う気がしません?(わたしだけ?)

 

いざ歌ってあげると、

なぜか「ふぇ〜〜ん」と涙声に。

 

え、なぜ泣くの。

 

と思ったのですが、

2日目も歌ってみたら、どうやら私のマネをして歌っていることが発覚(笑)

 

前から「加納さんはしゃべり声と歌声が全然ちがう!」と言われてはいましたが、マネされて初めて『音の雰囲気ごと変わるんだな』ということが分かりました。

 

 

とにかく、

私が歌っている間はじーーーっと聴いている1歳児なのですが、何ループかし終わると……余韻を持たせてまた復活し

 

シーツを剥がす

カーテンを開け閉めする

掛け布団にダイブする

ベッドで跳ねる

枕を投げる

換気口を開け閉めする

ひとりでいないいないばぁをして笑う

 

とハッスルモードへ。。。

パワー有り余りすぎてる(笑)

 

ダメかもしれないけど、とりあえず数日間は歌い続けてみようか、と思った母なのでした。

 

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知らないうちにホワイトタイガーと仲良し、なネコ。

ぬか床が手にしみる。

昔から皮膚が弱く、アトピーに悩まされたこともあった私。

おとなになってからはそこそこ落ち着いていて、紫外線アレルギーで顔がボロボロになるーーくらいのことしか近年の皮膚トラブルはなかったのに…。

 

産前産後に発生した『手湿疹』に長らく頭を抱えています。

 

なぞの痒いぷちぷちができて、掻きむしると潰れて、患部が広がるという厄介なやつです。

 

手湿疹の塗り薬をぬればひとまず落ち着いていたのですが、コロナ対策のアルコール消毒と日々の水仕事(皿洗い)で手がボロボロに。

 

ひび割れするほどです。

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いつぞやの母の手を彷彿とさせます。

 

産前産後のホルモンバランスの影響で手荒れするという話も聞くので、こればっかりは仕方がないのかもしれませんが…見ていて切ない。

 

そして、ぬか床がしみる(泣

 

 

「この手は、日々を頑張っている勲章だ!!」と言えるほど頑張れているのかもよくわかりませんし、高保湿のハンドクリームは全然染み込んでいきません。

 

砂漠状態。

 

 

夏からこんな手で大丈夫なのか、わたし。

乾燥の冬がおそろしくてたまりません。

 

 

外はまだまだ暑く、蝉も鳴いているけれど、

 

時折吹く涼しい風に

 

(あぁ、栗がたべたい)

 

と思えば、秋のはじまり。

 

 

 

こんな手荒れでガサガサな手でもなでさせてくれるウチのネコチャン。

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とってもメキシカンです。

#マスカットのネット

 

ご飯を食べるということ。

娘が空になったお弁当箱を持って帰ってくると、たまらなく嬉しくなるんです。

 


ーーーそんな話をよく目にしていたけれど、実のところ…「そんなに嬉しいか?」と冷めた感想を持った私がいた。

 


私は昔から好き嫌いがなくて、『なんでも美味しく、よく食べる!』がモットーと言っていいほど食べることが大好きだった。

 


だから、だいたい母が作ってくれたお弁当は完食してたと思うし、いつも美味しく楽しく食べていた記憶がある。(母の料理が美味しくて、どれも好みだったのだけども。)

 


それでもただ「食べる」側のわたしは、

(完食しただけでたまらなく嬉しいだなんて大袈裟な)と思い続けていたのだ。

 


それは結婚しても変わることのない思いだったにも関わらず、子を持ってして、初めてガラリと逆転する。

 


食べてくれるって…嬉しい。

 

 

作っても食べない。投げる。遊ぶ。

床に落ちた食べ物たちを悲しい気持ちで片付ける。。

 


コミュニケーションが取れない幼い子どもの食べそうなものを予想して、試して、失敗して、また予想して、少し成功して、また失敗して…手探りで進むという、途方もない作業。

 


大人ならば「あれが好き」「こういう味が食べたい」と言ってもらえればなんとか対応できる。

けれど、相手はまだしゃべれないのだ。

 


そんな状態から始まり、すくすくと、あっという間に大きくなり、お弁当を完食して帰ってくるようになんてなったらアンタ……

 

涙でちゃうよ、そりゃ。

 


全国の子育てしてるひとたち

すごい。

忍耐力、精神力。

私なんてすぐイライラしちゃって、見習いたい!

 

みーーんな当たり前のようにやってるけど、本当に大変で、大事なことなのだと毎日実感。でもうまくいかないものはいかない(笑)

 

 

 

ああ。

私をこんなに食いしん坊に育ててくれた親って、すごいなぁ。

 


なんでもないことが尊いことだと気づけるのは、とても貴重な体験だ。

 

 

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最近ハマってる『しらすと水菜のオイルパスタ チーズがけ』

いつものニワトリ

ふと目が覚めると、夜明け前。

うすいカーテンの向こうはまだ暗くて、少し開けた窓からはまだ夜のにおいがする。

こんなときはだいたいみんな残念な気持ちになるのだけれど、私はちがう。特別な時間が始まるから。

 


うちのひとが起きないように、パジャマの上にこっそり長いカーディガンを羽織って靴下を履く。玄関までそろりそろりと歩いて、靴のかかとを踏んだまま、ゆっくりゆっくり戸を開ける。

 


マンションを出ると、外はほのかに明るくなっていて夜明けが始まっていた。私は迷わず向かいの森林公園へ行って、大きなくすのきの前で立ち止まった。

 


ゆっくりおおきな深呼吸をみっつ。

右手を顔の高さまで挙げてこぶしをつくり、コンコンコンと木をノックする。

くすのきの樹皮は凸凹していてひび割れしているように見えるから、ちょっと痛々しい。

乾いた樹皮に右手中指の関節が触れて、ザラザラとした。

 


すると、ひび割れした樹皮の向こうが光り始め、ルービックキューブがひとりでに動き出すみたいに樹皮が一斉に動き始める。

 


ほの暗い公園にまばゆい光が差し込むから手で目を覆っていると、その入り口は開けた。

 


コケコッコー

 


どこかでニワトリが鳴いている。

さあ、今から特別な時間。

 


私だけの図書館「いつものニワトリ」

 


目の前のおおきなくすのきの中一面に本棚があって、そこにちいさな木の椅子が一脚だけ置いてあった。

 

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劣化

朝は子どもが目覚める時間に起き、だいたい決まった離乳食の時間に合わせてご飯を用意し、その隙間で洗濯やら散歩やら昼寝やらとこなしていると、あっという間に1日が終わる。

 


子どもに時間を割かれるのは仕方がないけれど、圧倒的に自分の時間がない。

 


「いや、ないのではなく作ればいいのでは?」

 


という方もいるだろうが、毎日ヘロヘロのバタンキューで元気がないのだからどうしようもない。

 


子どもを寝かしつけ終えてふと、

(あ、私はこのまま劣化していくんだろうな)

と思って寂しくなった。

 


劣化が嫌いなわけじゃあない。

 


シワが増えたり、白髪が増えたり、たるんだり、背が縮んだり

「おおいに構わん!」と思っている。

 


心配なのは、中身だ。

 


知識もない、経験もない、鍛錬もない

物事をじっくり考えることもない

自分がすべきことがわからない

 


こんなどうしようもない状態になるのではないだろうか。

 


おそろしい。とてもおそろしい。

 


いつか子育てが終わったら、私はこの世にいる意味がなくなってしまうではないか。それはいかん。

 


何か自分の軸になるものを

仕事以外のもので持たないと。

 


しゃべる仕事はもちろん自分の軸になり得るんだけれど、子育てに時間を取られてなかなか仕事ができなくなると、その軸は簡単に折れてしまうから。

自分を保てなくなってしまうから。

 


だから、仕事以外の何かを見つけよう。

 


音楽?歌?も、なんだかちょっと今は違う。

悲しいかな、最近全然からだのなかに音が流れなくなってしまったから。

 


よし。下手くそだけど「書く」にしよう。

 


何かちょっとずつでもいいから、書こう。

 


「今日はヘロヘロまではなってないな」って日に、何かを書こう。

 

つむいで つむいで かたちにしていこう。

 

軸となる文字が、私の中に走りますように。

 

 

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獣医さんから「むっちりですね」と言われた我が家のネコ。

 

該当者。

年明けからすっかり更新していなかったけれど、もう五月です。

 

我が家の新メンバーの初節句も無事に終え、賑やかな毎日です。「エネルギーの塊」と遊んでいると、もうヘトヘト。なのになんで痩せないんだろ、わたし。(食べてるからだね

 

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にゃん

 

夜明け前の朝3時、子どもがゴロゴロと転がりぶつかってきたので目が覚め、眠れなくなってしまったので久々ブログを開きました。

 

5月9日、本日は母の日であります。

 

私の母は昔からカーネーションの花があまり好きじゃないので(笑)小さい頃はよく折り紙でカーネーションの花を作って渡していました。

 

先日この話をたまたましたら、まだあの時の折り紙のカーネーションあるよ、とのこと。

 

子どもからの贈り物はなかなか捨てられないのかもしれないですね。いざ自分が親になってみて、初めてその気持ちが(少しだけ)わかります。

 

でも、身の回りの物は少ない方がいいんでしょうけどね。ごみ屋敷になっちゃう。

 

 

 

ふと、初めて自分が母の日の該当者になったことに気がついて、少しもぞもぞしました。

 

 

自分のことを考えると、

感謝されるようなたいした存在じゃないのにな(まだ新参者だし)

と思いますが

 

自分の母親たちのことを考えると

人を育てるという、体力も、気力も、時間も、お金もたーーくさんかかる行為を30年以上しているということは

並大抵なことではないのだと感じています。

 

 

いつもありがとう

 

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面と向かっていえないから、ネコに言おう。