『はい、もうダメ〜。今日のラムネはそれが最後だからね』
遠い記憶で母が言う。
その「最後」には、なんだか焦れったい「明日への期待」が含まれていた。
でも
大人になってから出会う「最後」は、せつないものばかりだ。
みんな笑顔の仮面をかぶって「最後」を告げる。それはゆっくりと時の流れるスクランブル交差点のように、「交差する時間がただ終わるだけ」に過ぎない。それがオトナってもんなのかもしれない。悪い意味でも、良い意味でもね。
こんなおセンチな気持ちになったのも、福岡を思い出したからだ。
福岡で出会ったJAZZ
その一瞬をみんなで味わう、最高潮。
もう二度と同じ空気は生まれない。
儚い が それがJAZZらしくて私は好きだ。
中洲JAZZのMCをしたのをきっかけに始まったラジオ番組「SWEET JAZZ」
JAZZを流しながらゆったり過ごす夜の番組。
たまに福岡へライブをしにきてくれるアーティストのみなさんにゲスト出演してもらい、恥ずかしながらJAZZボーカル始めたての私の拙い歌とセッションしてもらっていた。
私が契約満期終了したあと三代目のパーソナリティまで続き、残念ながら番組は終わった。
JAZZにはつねに「最後」がつきまとう。
永遠はない。同じことは起こらない。
最後がわかっているから、今を楽しめる。
最後を怖がって今を生きることはできないのだと思う。
それを教えてもらった気がする。
でもその時々の「最後」という点が
ときを経てつながり、線になることはある。
そうやってわたしはここまで歩んできたのだと強く思える。
ひとつひとつを終え
気づいたら 線となって私の轍となる。
ヘンゼルとグレーテルが置いた白い石を、私は自分の人生に置き続けていきたいと思う。
例え、風で石が飛ばされようと、通りすがりの人に蹴飛ばされようと、石がなくなったからパンを代わりに置いたり、羊羹を置いたりしても。
そこに置くことに意味があると思う。
「挑戦して 反省して」を繰り返し楽しんでゆこう。
そうしたら人生はもっともっと楽しくなるはず。
終わりを怖れず。人生はJAZZ。
JAZZは生き様だ。
先日は今年度のJAZZライブラストだった。
永田ジョージいつもありがとう。
来年度も楽しい空間を作っていこう。
かつて、SWEET JAZZにゲストで出てくれたFried Pride
私の憧れ、いつもかっこよく楽しそうに奏でる大好きなひと。
そのボーカルであるShihoさんがなんとこの間のライブにきてくれた。
「アリサ!成長したなぁ!!」
この言葉が、点を線にして繋いでくれる。
とても染みた。私の「次の一歩」を踏み出す力だ。
本当に人に恵まれて嬉しい。
ありがとうございます、と心から。