なんでもありっさブログ

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ハガキがあった

1990年、

何もないと思っていた私に

ハガキがあった

f:id:alissak:20170713221112j:plain by せきしろさん



私も、ラジオを聴くのに夢中になった時があった。そのころの主流はもうハガキよりも「メール」だったが、私の中では、メールよりも「FAX」の方が価値が上だった。


なぜなら、絵を描き添えたり、文字のレイアウトを考えたり、、、読む人がパッとみて面白そうと思うものを考えて送っていたので、明らかに時間を割いている感じがでるからだ。



しかし、明らかに手間をかけているんだけど、番組にお熱になっていることをラジオ局側に悟られるのが嫌で「こんなの朝飯前ですけど?なにか?」みたいな感覚で送っていたのを思い出す。私が高校生くらいのときだ。




月日は流れ、縁あって「ラジオの向こう側」の人をやることになった。あこがれの場所であった。


聴く側からしゃべる側になっても、良いか悪いかは別として、あまり感覚が変わらなかった。それは私が番組のメインパーソナリティじゃないからかもしれない。でも「ラジオに参加している人」という感覚は変わらなかった。



ラジオ局のアナウンサーをしながら、他局の番組にメールを投稿して、たまに読まれたりもしていた(笑)



 

           ∞  ∞  ∞





メッセージを送って

それが採用されなかったのと同じように、




しゃべるなかでも

上手くいかないこと、

頭ではわかっているのに思うように表現できないこと、

ヘラヘラつまんないことを言ってる自分に、悔しい気持ちになった。





メッセージが採用されなかった恐怖と

つまんないことをラジオで喋ってしまった恐怖は

なんだか親戚のような感じがした。




意味のないフレーズを口走ってしまって、夜寝るときに限って なぜかそのシーンがフラッシュバックされてもがいたこと。




かたや、予期せぬ化学反応が起こって、自分でもびっくりするほどいい会話や展開が起きたこと。




ラジオの中には、すべてがごちゃまぜに存在している。




綺麗なことばかりじゃない、

しょっぱい思い出が、涼しい顔をしているそのすぐ裏にあって、


でも「そんなこと なんとも思ってないし、平気だし」といった強がりの上に立ってるもんだから、崩れやすくて危なくて。





せきしろさんの本を読んだら

そんな思いが、

芋づる式に出てきちゃって

たまらなくなった。



なぜだろう。

アルミホイルをある程度の長さに切り出して、ぐわーーーーっとクシャクシャにしたい気持ちになった。そのアルミホイルをわざと不快にクシャクシャと大きく鳴らして、泣きたい気持ち。





このひとの書く文章のにおいが、

改めて好きだと思った。

ラジオに限らず、

悔しい思いをしたことがあるひとは

一言に「悔しい」ともいえない複雑な感情を抱くかもしれない。


いろんなことを思い出させてくれる本ではないだろうか。



わたしも、夜明け前の空がみたい。