仕事で一緒になる方と仕事の合間の雑談をどうするか。私にとってこれは永遠の課題である。
「最近だいぶ涼しくなったと思ったら、今日は急に暑いですね。」
なんて普通すぎてなんの面白みもない天気の会話は、申し訳ないほどよくしてしまう。そして当たり前のようにすぐ会話が終わる。
私に知識と教養、コミュニケーション能力があればどんな話題でも会話が続くのかもしれないが、それを持ち合わせていないのだから仕方がない。育児に振り回されて(言い訳かもしれないけど)時事ニュースもろくに追えていない。
必然と子育ての話題しかしゃべれなくなっていく自分が少し虚しい。
「そういえば、お子さんってなにか習い事とかされてるんですか?」
ーー今回の話題は「習い事」キミに決めたッ☆
「いえ、なにも。」となるのを恐れながらも、近々新しい習い事に通う予定だと会話が発展してホッとする。ひとまずこのまま会話の波に乗れそうだ。ありがとう、習い事。
新しい習い事は『そろばん』らしい。
しかも、いまどきは「リモートそろばん教室」なんだそうだ。
オンラインで先生が手元と顔を映し変えながら教えてくれるらしい。教室まで通う手間がかからないし、なにより人との接触を抑えられて良い。コロナ禍ならではの、進化した習い事だ。
そろばんかぁ。私は学校でしか習ったことがないけれど、そろばん教室に通っている子はなぜかカッコよく見えたなぁ。
そろばん教室に通っている子は、そろばんを操るかのように机の上で手を動かしながら暗算するのだ。
そろばんのない机の上で、珠を弾くような手の動き。
あれがなんとも、頭が良さそうに見える。
自分にしか見えない透明のそろばんだ。
できないくせに、私も机の上で手を動かしながら暗算したことが何回もある。
何の計算もしていない、ただトントンと動く私の手。時折考えるようにして一瞬止まったりして、本当バカみたい。誰も見ちゃいないのに。
今思うと恥ずかしすぎて顔から火が出そうだけど、当時の私は満足げな顔をしていたはずだ。
そろばん教室に通う子にとっては、見えないそろばんを弾いたって、カチャカチャという音が聞こえているんだろうな。耳に馴染むほど聞いているだろう、あの音を。
そう考えると、そろばん教室って大勢のそろばんの音で溢れているんだろうな。
ザーーーッ パチパチ カチャカチャ シャッ
その迫力を想像すると、「リモートそろばん教室」はややインパクトに欠ける気がする。
自分だけの音しか聞こえないのかな。
もちろん「そろばんを習得する」「計算に慣れる頭を育てる」など、目的は別なので問題はない。
ただ、大海原で自分の弾く音色だけを頼りに進んでいくドラマチックさは特別なものじゃないかと私は思う。
まぁ、通ったことないから知らんけど。
『そろばん教室ですかー!いいですね。私、そろばんの、最初の、シャーーーッて横に切るやつすきです!』
「いまどきはワンタッチで、ボタンひとつでご破算できるそろばんがスタンダードなんで、自分ではやらないみたいですよ」
『そうですか、、』
またバカみたいな切り返しをして、会話を終わらせてしまった。