なんでもありっさブログ

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くさとパトカーの夏

「子がいると虫を飼う機会がやってくる」というのは当たり前ではなく、家庭によるのかもしれない。

 

虫が苦手な子がいるのはもちろんのこと、親も虫が苦手な場合、虫採りといった遊びを選ぶことがなくなるからだ。そして親になってみてわかったが、虫採りに出かけて一番興奮しているのはだいたい親だ。非日常を楽しむどころではなく、自分の幼きあの日にタイムスリップするかのごとく没入してゆく。


虫探しに興奮するパートナーを横目に、ああ私もいつか弟とカブトムシを探しに行ったとき「しかたない。付き合うか」って気持ちだったなぁと思い出した。

 しかしここは愛知の田舎ではなく東京だ。すぐにカブトムシを拝めるわけはなく、樹液にむらがるのはおっかない顔をしたスズメバチばかり。


「あのー?これいります?」と突然、日焼け防止対策万全のおばさんが話しかけてきた。アームカバーを萌え袖みたく長くして何かを手のひらに握っている。直感で(このおばさん、手に虫もってるな。)と思い「え!なに獲ったんですか!」と聞くと『蝉です』とひとこと。


せみ。


せみを、素手で。


いや、アームカバーで。

 


丁重にお断りして、再びカブトムシを探す。

 


木陰は幾分涼しいけれど、夕方とはいえまだ夏のど真ん中なので蒸し暑い。お茶飲む?と頻繁に4歳と2歳に声をかけては木の幹や根元をジロジロと睨み歩いた。


するとうちの4歳ホヤホヤ児が「あ!カブトムシ歩いてる〜」と言うので何と見間違えているのかと思ったら、本当に歩道をカブトムシがのこのこと歩いているではないか。


そうして我が家の初めてのカブトムシ探しは、ビギナーズラック?なのか奇跡的にお散歩中のオスのカブトムシをゲットして終わった。


そして帰りがけに小学生くらいの虫取り少年がメスのカブトムシをくれて、虫籠の中には番のカブトムシが揃うことになった。

 


採れると思っていなかったカブトムシがうちに来たことで我が家の「虫欲」は高まっていった。といっても私は虫自体は苦手ではないけれど、カブトムシやクワガタを触るのが得意ではない。力の加減がわからなくて木から虫を剥がす時に手や足が取れてしまうのじゃないかと怖くなるからだ。巨人が人間をつまむ時ってそんな気持ちになるのかなーと、土の中に潜ってゆくカブトムシを見ながらボーッと思った。

 


また別のカブトムシに出会ったのは一週間くらいすぎてからのこと。

 

すぐにメスのカブトムシが力尽きてしまい、オス1匹となった我が家の虫籠にみんなしょんぼり。生き物を飼うというのは命を考えることだけど、まだ4歳はよくわかっていないようだ。30代には虫の命もなかなかに重たい。うちの小さな庭に埋めてやった。


気分が晴れないまま遊びに出かけると、木の根元に黒光りするものを見つけたので「あれ、カブトムシかな」と私が言うとなんと本当にカブトムシ。

そんなこんなで、我が家の虫籠は「小さい古参のオスカブトムシ」と「新入りの大きめオスカブトムシ」の2匹となった。


いままではオス、メスと呼んでいたのだけど、どちらもオスになってしまったので名前をつけよう!ということになった。

 


4歳はうーんうーんと悩みながら、

そうだ!

ちいさいほうは「くさ」

おおきいほうは「パトカー」ね!

となった。なかなかのネーミングセンスだ。

 


聞くとどちらも今日見たものからインスパイアされたもののようで悪意はなさそう。今日の思い出を込めたということで、めでたく「くさ」と「パトカー」になった。

 

どうやら気性の荒い個体のようで「あ!パトカーがケンカしてる!!」と4歳が言っているのを側から聞いているとなんだかおもしろい。

 


夜、浴室に洗濯物を干していると遠くて羽をバタバタさせるカブトムシの音が聞こえる。そして朝一番、カブトムシがふかふかの土の布団で眠りについているかどうかを見るのが日課になりつつある。

さながら、カブトムシ専用マンションの管理人だ。

 


くさとパトカーのいる部屋はゼリーの甘い香りがしている。

ちなみにスイカを与えるとカブトムシがお腹をくだしちゃうからダメなんだそうだ。

 


時代が変われば情報も変わる。

 


夏のピークがすぎ、秋の気配がこっそり顔を覗かせている今現在。なんと、カブトムシの他にクワガタの飼育ケースが2個もある。

どうしてこうなった…?と頭を抱えながら、玄関の床に溢れかえる昆虫ゼリーをじっと睨む私がいる。

 

ゼリーと土の匂いがする。

 

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ソファーに置かれたワニのレゴ。

クラウチングスタート

去年はひとつもブログを書かなかったことが、今判明した。なんとしたことか、最低ひと月に1つは書こうと決めていたのに。

 

書くことがない、というよりは書くことが頭の中でまとまらないと表現した方が正しい気がする。

 

子育ては日々修行のようで。どう怒らず流されず且つ楽しくおもしろい生活が送れないかと模索しているが、自分の未熟さもあってなかなかうまくゆかない。

 

簡単におとなにはなれないのだと、歩き始めた輝かしい命を前に、自分も同じようにその延長線上にいるのだと気づかされる。

 

成長途中の人間が

成長途中の人間を育てる

 

育てるーー

というより共存していくと表現していきたい。

 

私にできることは助けてあげながら

子どもたちはそれぞれひとつの個として

ぜひ歩んでもらいたい。

 

 

2023年の12月から新しいお仕事をいただいた。

audibleのPodcast「ゆかいな知性」北欧編のMCだ。

共に番組MCを担当してくださっているのはデンマークはロスキレ大学で准教授をされている安岡美佳さん(https://x.com/mikayasuoka?s=21&t=7vrp2Vg-WOGiRetC0iHJqQ

 

北欧のテクノロジー関係のお話や、教育、文化などさまざまなトークを楽しく展開中。

 

聴いてみたい方はこちらへ。

https://www.audible.co.jp/pd/B0CP7JW8MG?source_code=ASSORAP0511160006&share_location=podcast_episode_detail

 

安岡さんはスマートな語り口の奥で「人を幸せにするテクノロジーへの探究心」が燃えている。

話を聞いているだけで、私も「テクノロジーと共に築く、ちょっと先の未来」を見たい、知りたい、作りたいと思わせてくれる。

 

私は知らないことが多すぎる。

もっともっと考えなくちゃいけないことがある気がする。

 

 

自分の進路、人生を振り返ってみて

何かになりたいと思ったことはないように思う。

 

しかしながら、どんなときも

自分のこころが向かう方へ進め!

そう思いながら歩いてきた。

 

自分の過去を振り返るより

今、そして少し先の未来を話す方が好きなことも

最近判明したことかもしれない。

 

2024年は、年女にして厄年。36歳。

山あり谷ありかもしれないけれど

なりふりかまわず走っていきたい。

 

ひざ小僧はすでに黒い!どろんこ上等じゃ!

 

Ready, Set,  GOOOOO!!!!

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マニキュアがかわくまで

三、四年ぶりくらいにマニキュアを塗っている。

近々結婚式に出席する予定があるから。

 

テレビの仕事があろうとも、丸裸の丸爪で挑んでいた私。

手荒れもひどいし、爪先でオシャレを楽しむ余裕なんざ、カケラもなかった。

そんな時間があるならネコを撫でていたいし、ゆっくりコーヒーでも飲みたいし、なんなら昼寝したい。そう思っていた。

 

ドレスを着るとなると、とたんに手元がさみしくなる。アクセサリーだけじゃ物足りなく、ぼんやりとしてくる。

 

だから、今回塗ることにしたのだ。

子どもを寝かしつけ、歯を磨き、ネコをブラッシングし、いざ!と。

 

鼻にツンとくる香りはどこか懐かしい。

塗るのが下手くそなので、2度3度も塗らない。

一度塗ってトップコートを塗るだけ。

 

なのに

 

なぜか少しテンションがあがってくる。

 

セーラームーンの変身シーンで指先に色がぱぁっと乗ったときのような、別の自分に変身するような気持ち。

 

あぁ いいもんだな たまには。

 

ネコが(なんだこれは!!くさいぞ!)と鳴いてくる。

 

かまうもんか。

貴重な貴重なわたしの時間だい。

 

『マニキュアが乾くまで

 どうかそっとしておいて』

 

そんな言葉が浮かんだ瞬間、ちあきなおみの「マニキュアがかわくまで」が脳内再生された。

 

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(くさいぞ!くさいぞ!)と鳴くネコ。

旅は非日常への入り口?

うちにいるとなかなか外出することもできず、近場で特に子どもを連れて行きたいところも思いつかないので、出不精になりがちです。

 


子のあり余るパワーと自由奔放さについつい大きな声でガミガミいってしまいます。

 


なので、旅行はとってもいい。

鬱々とした気分が晴れます。

非日常を味わいにいこう!というわけです。

 

 

 

旅館の和室に布団を3枚敷いて、家族4人でゴロゴロと寝ます。私以外のメンバーがそれぞれ布団を一枚使用するので、私は布団と布団の隙間にでてきた畳で寝かせてもらいます。寝返りも打てないので背中がバキバキです。

温泉で癒した身体にさっそく鞭です。

 


お部屋の小さい冷蔵庫にはなぜか我が家の2歳児の靴下が冷えています。一方で、貴重品をいれる金庫の鍵穴の前で金庫破りみたいな顔している0歳児もいます。

 


夕食を配膳してくれる仲居さんが来るたびに「おいしい!おいしい!」と感想を伝える2歳児に、何度拾っても私のおしぼりを床に叩きつけることにハマっている0歳児。

 


「みて!くもがこっちみてる!」と大きな空を指差す2歳児に、売店のおじさんの顔を睨みつける0歳児。

 


旅と言っても子連れ旅なので、その分の疲れは確実にどっしりとのしかかってきます。

 


非日常を味わうというよりは日常の延長戦みたいなことばっかりですが、釜飯を味わうような幸せに包まれるのです。

 


帰宅すれば山のように洗濯物があることを忘れて。

 

 

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ウニの骨を覗く

鉄棒で世界がまわる

ついこの前、体力の有り余る2歳児と公園で遊んでいた時のこと。

 

いつもは0歳児を抱っこ紐で連れているため、一緒になって遊ぶことができないのだけれど、その日は珍しくノー抱っこ紐で身軽だったので、つい

 

「よぉおし!鉄棒見せちゃおうかな!」

 

と、言ってしまった。

 

何を隠そう、私は小学生の頃 鉄棒がだいすきだったのだ。

鉄棒をからだで挟むようにして膝の裏で手を組み、腕を鉄棒に押し当てて腕の力と振り切った足の力だけで回り続ける『だるま回り』という技を気がおかしくなるほどしたせいで、虐待にあっているかのような痣が腕にびっしりできてしまったことがある。

だるま回りが気になる方はこちら→https://youtu.be/SlM8hDcZ_wQ

 

 

(だるま回りはさすがにもうできないけど、軽く前回りくらいでいいだろう)

 

鉄棒をぎゅっと握り、腕をのばして鉄棒の上に上半身をあげる。

 

そーれ、グルン!

 

と軽めに回ったつもりだった。

頭がぐわんぐわんと揺れて、まさかのめまい。

 

それもそのはず、私はいつの間にか【三半規管 激弱おばさん】になってしまっていたのだ。

しかも、体重も激重だ。

 

平気な顔して子どもの前でへらへらしてみたけれど、半分くらい身の危険を感じたほどだった。

 

痣を作りながら無心で回り続けたあのときは、なんだったのだろう。

 

世界がひっくり返ったように、わたしの頭はぐわんと回った。

 

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おとなしく抱っこ紐つけておこう笑

蔑ろ

「育児をしていると自分のことを蔑ろにしがち。」

と私が言うと、かなり言い訳っぽい。

 

なぜならいくら育児でてんやわんやしていても、食べたいものはこっそり食べるし、飲みたいものは可能な限り飲む。

 

要は、私が積極的にしたいことか、そうでないかの違いなのだと思う。

 

歯科クリニックへは、1人目の出産後、残された特大の親知らず1本を思い切って抜いた時以来行っていないので、1年ぶりくらいかな?

 

1年ちょっとでこんな事を言われるとは夢にも思わなかった。

 

「あなたには虫歯が6本あります。そのうちの一つには、おおきな穴ぼこが空いています。」

 

なんか奥歯が少し痛いなぁとは思っていたけれど、嘘だろう?

 

口の中に突っ込まれた丸い鏡には、おおきな穴ぼこの空いた奥歯が「えっへっへ。バレちゃいやしたか。どーもすいやせん」と笑う。

 

ジェットコースターを乗り終えたあとのようにグッタリとした私を見て先生が「虫歯は放っておいても治りませんから、きちんと治療していきましょう」と微笑んだ。

 

さっそく別日に、一番問題である奥歯の穴ぼこ虫歯をやっつけることになった。

前回とは違う先生が「では今日は虫歯の治療をしていきますね。お口開けてくださーい。えっ⁈……」と、穴ぼこが空いた私の歯を見て言葉を失っていた。

 

そうだろう、そうだろう。

こんなになるまで虫歯を寝かしておく人はなかなかいないだろう。

ああ。何から何まで心に突き刺さってもうビールをあおりたい気分になる。しかし、私の口にはもうドリルが突っ込まれているのだ。

 

はやくおわれー

はやくおわれー

 

と祈りながら15分ほどで処置が終わった。

 

今度は別の日に型を取って、また別の日に銀を詰めて、そしたら今度は別の虫歯に取り掛かって…

 

気が遠くなりそうだ。

 

うなだれながら帰宅すると、我が家の2歳児がおかえりぃ〜と出迎える。

「アー した? イー した?」

 

(それはいつもあなたにやってあげている仕上げ磨きのやつね)と思いながら

 

『したよ〜〜!!アーもイーも、たくさんしてきたよ〜〜!』

 

と応えると、ヒャッヒャと笑った。

 

たしかに、こどもが口を大きくアーと開けたり、横にイーと開くのと私がやっていることはさほど変わらないな。

 

なぁんだ。やってもらってるだけか。

 

そうだ!今度からは美容院でシャンプーしてもらうような気持ちで歯医者に通おう!!

 

いや、シャンプーで頭は削らないか。

 

ツラい。。

 

 

みなさん、歯はちゃんと磨こう。

 

 

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「歯、磨いたか?」のネコ。

かっこいい手の動き。

仕事で一緒になる方と仕事の合間の雑談をどうするか。私にとってこれは永遠の課題である。

 

「最近だいぶ涼しくなったと思ったら、今日は急に暑いですね。」

 

なんて普通すぎてなんの面白みもない天気の会話は、申し訳ないほどよくしてしまう。そして当たり前のようにすぐ会話が終わる。

 

私に知識と教養、コミュニケーション能力があればどんな話題でも会話が続くのかもしれないが、それを持ち合わせていないのだから仕方がない。育児に振り回されて(言い訳かもしれないけど)時事ニュースもろくに追えていない。

 

必然と子育ての話題しかしゃべれなくなっていく自分が少し虚しい。

 

 

 

「そういえば、お子さんってなにか習い事とかされてるんですか?」

ーー今回の話題は「習い事」キミに決めたッ☆

 

「いえ、なにも。」となるのを恐れながらも、近々新しい習い事に通う予定だと会話が発展してホッとする。ひとまずこのまま会話の波に乗れそうだ。ありがとう、習い事。

 

新しい習い事は『そろばん』らしい。

しかも、いまどきは「リモートそろばん教室」なんだそうだ。

 

オンラインで先生が手元と顔を映し変えながら教えてくれるらしい。教室まで通う手間がかからないし、なにより人との接触を抑えられて良い。コロナ禍ならではの、進化した習い事だ。

 

そろばんかぁ。私は学校でしか習ったことがないけれど、そろばん教室に通っている子はなぜかカッコよく見えたなぁ。

 

そろばん教室に通っている子は、そろばんを操るかのように机の上で手を動かしながら暗算するのだ。

そろばんのない机の上で、珠を弾くような手の動き。

あれがなんとも、頭が良さそうに見える。

自分にしか見えない透明のそろばんだ。

 

できないくせに、私も机の上で手を動かしながら暗算したことが何回もある。

何の計算もしていない、ただトントンと動く私の手。時折考えるようにして一瞬止まったりして、本当バカみたい。誰も見ちゃいないのに。

今思うと恥ずかしすぎて顔から火が出そうだけど、当時の私は満足げな顔をしていたはずだ。

 

そろばん教室に通う子にとっては、見えないそろばんを弾いたって、カチャカチャという音が聞こえているんだろうな。耳に馴染むほど聞いているだろう、あの音を。

 

そう考えると、そろばん教室って大勢のそろばんの音で溢れているんだろうな。

 

ザーーーッ パチパチ カチャカチャ シャッ

 

 

その迫力を想像すると、「リモートそろばん教室」はややインパクトに欠ける気がする。

自分だけの音しか聞こえないのかな。

 

もちろん「そろばんを習得する」「計算に慣れる頭を育てる」など、目的は別なので問題はない。

 

ただ、大海原で自分の弾く音色だけを頼りに進んでいくドラマチックさは特別なものじゃないかと私は思う。

まぁ、通ったことないから知らんけど。

 

 

 

『そろばん教室ですかー!いいですね。私、そろばんの、最初の、シャーーーッて横に切るやつすきです!』

 

「いまどきはワンタッチで、ボタンひとつでご破算できるそろばんがスタンダードなんで、自分ではやらないみたいですよ」

 

『そうですか、、』

 

 

またバカみたいな切り返しをして、会話を終わらせてしまった。

 

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