先日、ラジオ局でニュース勤務をしていたら、大学生のアルバイトちゃんが「加納さん、食べます?」とマシュマロの袋をこちらに向けてくれた。
スーパーのお菓子売り場でも端っこの方にありそうな、シンプルな袋に入った、角のない長方形の真っ白いマシュマロだ。
『ありがとう!マシュマロ、久しぶりに食べるわぁ~』
中高生の時、田舎にある女子校まで学園バス通学していた私は、こっそりお菓子をバッグに忍ばせて、帰りのバスで友達とよく食べた。
積極的には登場しないが、友達の誰かが持ってきていたイメージのあるマシュマロ。それをみんなで回しながら、もぐもぐ。漫画を読みながら、おしゃべりしながら、もぐもぐ。
私にとってそれは、懐かしい味なのだ。
久しぶりに口にしたマシュマロは、しゅわしゅわと口の中で甘みが溶けて、不思議な弾みを保ちながら、口の中でちぎれた。
ひとつで充分な 甘さと若さ。
はるか昔、小学生の時、
ホワイトデーにマシュマロが返ってくると「ごめんなさい」の意味があるらしいよ。
と友達が言っていたことがあった。
奥手の集まりだった私たちの代は、バレンタインデーにチョコを渡して告白するなんていう強者女子は皆無だったので、お返しがマシュマロであろうとキャンディーであろうと、そんな話は我々には全く関係ないことであった。
それでもこっそりチョコを好きな人に渡していた子もいたのかもしれない。(私は毎年、父と弟にしかあげていなかったが。笑)
ホワイトデーにもらうマシュマロはどんな味だろうか。
一刻も早く、しゅわしゅわと溶けてしまえ!といった感じだろうか。
それでも、口の中で呑気に跳ねるマシュマロに罪はないのにと、思ってしまう。
(さて、次の時間は、どのニュースを伝えよう…)
大人のしがらみが渦巻く、淀んだニュースを前に、大人になった私の口の中で、マシュマロは 軽やかにちぎれた。