なんでもありっさブログ

見る・聴く・食べる・歌う、なんでもかんでも!

ぬか床が手にしみる。

昔から皮膚が弱く、アトピーに悩まされたこともあった私。

おとなになってからはそこそこ落ち着いていて、紫外線アレルギーで顔がボロボロになるーーくらいのことしか近年の皮膚トラブルはなかったのに…。

 

産前産後に発生した『手湿疹』に長らく頭を抱えています。

 

なぞの痒いぷちぷちができて、掻きむしると潰れて、患部が広がるという厄介なやつです。

 

手湿疹の塗り薬をぬればひとまず落ち着いていたのですが、コロナ対策のアルコール消毒と日々の水仕事(皿洗い)で手がボロボロに。

 

ひび割れするほどです。

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いつぞやの母の手を彷彿とさせます。

 

産前産後のホルモンバランスの影響で手荒れするという話も聞くので、こればっかりは仕方がないのかもしれませんが…見ていて切ない。

 

そして、ぬか床がしみる(泣

 

 

「この手は、日々を頑張っている勲章だ!!」と言えるほど頑張れているのかもよくわかりませんし、高保湿のハンドクリームは全然染み込んでいきません。

 

砂漠状態。

 

 

夏からこんな手で大丈夫なのか、わたし。

乾燥の冬がおそろしくてたまりません。

 

 

外はまだまだ暑く、蝉も鳴いているけれど、

 

時折吹く涼しい風に

 

(あぁ、栗がたべたい)

 

と思えば、秋のはじまり。

 

 

 

こんな手荒れでガサガサな手でもなでさせてくれるウチのネコチャン。

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とってもメキシカンです。

#マスカットのネット

 

ご飯を食べるということ。

娘が空になったお弁当箱を持って帰ってくると、たまらなく嬉しくなるんです。

 


ーーーそんな話をよく目にしていたけれど、実のところ…「そんなに嬉しいか?」と冷めた感想を持った私がいた。

 


私は昔から好き嫌いがなくて、『なんでも美味しく、よく食べる!』がモットーと言っていいほど食べることが大好きだった。

 


だから、だいたい母が作ってくれたお弁当は完食してたと思うし、いつも美味しく楽しく食べていた記憶がある。(母の料理が美味しくて、どれも好みだったのだけども。)

 


それでもただ「食べる」側のわたしは、

(完食しただけでたまらなく嬉しいだなんて大袈裟な)と思い続けていたのだ。

 


それは結婚しても変わることのない思いだったにも関わらず、子を持ってして、初めてガラリと逆転する。

 


食べてくれるって…嬉しい。

 

 

作っても食べない。投げる。遊ぶ。

床に落ちた食べ物たちを悲しい気持ちで片付ける。。

 


コミュニケーションが取れない幼い子どもの食べそうなものを予想して、試して、失敗して、また予想して、少し成功して、また失敗して…手探りで進むという、途方もない作業。

 


大人ならば「あれが好き」「こういう味が食べたい」と言ってもらえればなんとか対応できる。

けれど、相手はまだしゃべれないのだ。

 


そんな状態から始まり、すくすくと、あっという間に大きくなり、お弁当を完食して帰ってくるようになんてなったらアンタ……

 

涙でちゃうよ、そりゃ。

 


全国の子育てしてるひとたち

すごい。

忍耐力、精神力。

私なんてすぐイライラしちゃって、見習いたい!

 

みーーんな当たり前のようにやってるけど、本当に大変で、大事なことなのだと毎日実感。でもうまくいかないものはいかない(笑)

 

 

 

ああ。

私をこんなに食いしん坊に育ててくれた親って、すごいなぁ。

 


なんでもないことが尊いことだと気づけるのは、とても貴重な体験だ。

 

 

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最近ハマってる『しらすと水菜のオイルパスタ チーズがけ』

いつものニワトリ

ふと目が覚めると、夜明け前。

うすいカーテンの向こうはまだ暗くて、少し開けた窓からはまだ夜のにおいがする。

こんなときはだいたいみんな残念な気持ちになるのだけれど、私はちがう。特別な時間が始まるから。

 


うちのひとが起きないように、パジャマの上にこっそり長いカーディガンを羽織って靴下を履く。玄関までそろりそろりと歩いて、靴のかかとを踏んだまま、ゆっくりゆっくり戸を開ける。

 


マンションを出ると、外はほのかに明るくなっていて夜明けが始まっていた。私は迷わず向かいの森林公園へ行って、大きなくすのきの前で立ち止まった。

 


ゆっくりおおきな深呼吸をみっつ。

右手を顔の高さまで挙げてこぶしをつくり、コンコンコンと木をノックする。

くすのきの樹皮は凸凹していてひび割れしているように見えるから、ちょっと痛々しい。

乾いた樹皮に右手中指の関節が触れて、ザラザラとした。

 


すると、ひび割れした樹皮の向こうが光り始め、ルービックキューブがひとりでに動き出すみたいに樹皮が一斉に動き始める。

 


ほの暗い公園にまばゆい光が差し込むから手で目を覆っていると、その入り口は開けた。

 


コケコッコー

 


どこかでニワトリが鳴いている。

さあ、今から特別な時間。

 


私だけの図書館「いつものニワトリ」

 


目の前のおおきなくすのきの中一面に本棚があって、そこにちいさな木の椅子が一脚だけ置いてあった。

 

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劣化

朝は子どもが目覚める時間に起き、だいたい決まった離乳食の時間に合わせてご飯を用意し、その隙間で洗濯やら散歩やら昼寝やらとこなしていると、あっという間に1日が終わる。

 


子どもに時間を割かれるのは仕方がないけれど、圧倒的に自分の時間がない。

 


「いや、ないのではなく作ればいいのでは?」

 


という方もいるだろうが、毎日ヘロヘロのバタンキューで元気がないのだからどうしようもない。

 


子どもを寝かしつけ終えてふと、

(あ、私はこのまま劣化していくんだろうな)

と思って寂しくなった。

 


劣化が嫌いなわけじゃあない。

 


シワが増えたり、白髪が増えたり、たるんだり、背が縮んだり

「おおいに構わん!」と思っている。

 


心配なのは、中身だ。

 


知識もない、経験もない、鍛錬もない

物事をじっくり考えることもない

自分がすべきことがわからない

 


こんなどうしようもない状態になるのではないだろうか。

 


おそろしい。とてもおそろしい。

 


いつか子育てが終わったら、私はこの世にいる意味がなくなってしまうではないか。それはいかん。

 


何か自分の軸になるものを

仕事以外のもので持たないと。

 


しゃべる仕事はもちろん自分の軸になり得るんだけれど、子育てに時間を取られてなかなか仕事ができなくなると、その軸は簡単に折れてしまうから。

自分を保てなくなってしまうから。

 


だから、仕事以外の何かを見つけよう。

 


音楽?歌?も、なんだかちょっと今は違う。

悲しいかな、最近全然からだのなかに音が流れなくなってしまったから。

 


よし。下手くそだけど「書く」にしよう。

 


何かちょっとずつでもいいから、書こう。

 


「今日はヘロヘロまではなってないな」って日に、何かを書こう。

 

つむいで つむいで かたちにしていこう。

 

軸となる文字が、私の中に走りますように。

 

 

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獣医さんから「むっちりですね」と言われた我が家のネコ。

 

該当者。

年明けからすっかり更新していなかったけれど、もう五月です。

 

我が家の新メンバーの初節句も無事に終え、賑やかな毎日です。「エネルギーの塊」と遊んでいると、もうヘトヘト。なのになんで痩せないんだろ、わたし。(食べてるからだね

 

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にゃん

 

夜明け前の朝3時、子どもがゴロゴロと転がりぶつかってきたので目が覚め、眠れなくなってしまったので久々ブログを開きました。

 

5月9日、本日は母の日であります。

 

私の母は昔からカーネーションの花があまり好きじゃないので(笑)小さい頃はよく折り紙でカーネーションの花を作って渡していました。

 

先日この話をたまたましたら、まだあの時の折り紙のカーネーションあるよ、とのこと。

 

子どもからの贈り物はなかなか捨てられないのかもしれないですね。いざ自分が親になってみて、初めてその気持ちが(少しだけ)わかります。

 

でも、身の回りの物は少ない方がいいんでしょうけどね。ごみ屋敷になっちゃう。

 

 

 

ふと、初めて自分が母の日の該当者になったことに気がついて、少しもぞもぞしました。

 

 

自分のことを考えると、

感謝されるようなたいした存在じゃないのにな(まだ新参者だし)

と思いますが

 

自分の母親たちのことを考えると

人を育てるという、体力も、気力も、時間も、お金もたーーくさんかかる行為を30年以上しているということは

並大抵なことではないのだと感じています。

 

 

いつもありがとう

 

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面と向かっていえないから、ネコに言おう。

2021

晦日の夜は子どもを寝かしつけながら早くに寝てしまい、気がついたら朝。年が変わっていました。

 

元旦も暗いうちから、うちのネコはがちゃがちゃとうるさい(笑)

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帰省を断念したため、あまりにもいつもと変わらない日で、こうやって節目を感じないままダラダラと新しい一年を過ごしそうだなと感じています。

 


それでも、いま隣には寝たままニヤニヤ笑う子どもがいて(笑)昨年の正月とは明らかに違う景色です。

 


我が家は昨年メンバーが増え、チーム力が一層問われるようになってまいりましたが、どんな状況になっても楽しむパワーを備えて、踊りながら?歩んでいけたらいいなと思っています(笑)

 


人間は節目が大好きで、ライフイベントをたくさん作っては多くのことを記憶して自分を忘れないようにする生き物だとわたしは思っているんですが、出産のようなあまりにも大きなイベントが起こっても、案外その瞬間の思い出を懐かしんだり想いにふけったりできないものだなと実感しました。

 


新しい事、やらなくちゃいけない事は次から次へとやってくる。

 


「こまぎれ」というより『ミンチ』と呼んだ方がいい【わずかな自由な時間】

ハンバーグみたいにつなぎ合わせて、ゆっくり、なんの心配もしなくていい休暇がたっぷりあればいいなと思うけど

 


やらなきゃいけないことが目の前にあるほうが、わたしは性に合ってるかもしれません。

 


さあ今日もいろいろと待ってはくれないぞ!

今年もいい年にしましょう!

どうぞ宜しくお願いします。

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2021 元旦

ただいまを言いに行こう。

林家たい平師匠から

お母様がお父様のもとへと行ってしまったと連絡をもらいました。

https://ameblo.jp/tai-hey/entry-12639956927.html

 

私のことも家族みたいに接してくれた優しいお母さんでした。

 

番組の取材で初めてお家に伺ったとき、帰り際「お邪魔しました〜」と言ったら

『ここんちに来た人はみんな家族だからね!「いってきます」って言って出ていくんだよ。また来た時は「ただいまー!」だからね!』とお母さんは言ってくれました。

 

秩父のたい焼き屋さん(ははそ)まで手をつないで向かったあの日が忘れられません。

力強くて温かい手だったなぁ。

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ディレクターの川船さんと帰りのレッドアローに乗って出発を待っていたら、突如お母さんが車内に現れて「これ持ってきな」とたくさんの駄菓子をくれたのにも驚きました。電車の中まで見送りに来てくれてるんだもん!愛で溢れていました。

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初対面だったのに、久しぶりに親戚に会ったような温かい気持ちになりました。

 

秩父夜祭でお家に寄ったときは、帰りのレッドアローに乗り遅れそうで急いで家を出たのに

「はい!これ!帰りの電車で食べな!」とおつまみゲソをそのまま私のカバンの中にねじ込んでくれました(笑)

 

12月で寒くて手がかじかんでいたけど、武甲正宗のカップ酒(熱燗)を飲みながら裸のおつまみゲソをかじって帰ったのもいい思い出です。

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秩父へ公演で訪れたときも、せっかく来たんだからお母さんに挨拶していかなきゃと、連絡なしに突如お邪魔しても嫌な顔ひとつせずに「あがってお茶飲んでいって」と迎えてくれました。

 

ちょっとのはずが2時間くらい居座ってしまって、「ほらこれ秩父名物だから食べてきな!」とイチゴとバナナを出してくれたのも楽しかったなぁ。バナナは絶対秩父名物じゃないと思うけど(笑)あそこで食べると特別な味がしました。

 

見ず知らずのわたしを

家族のように、娘のように迎えてくれた

やさしくてユーモアにあふれたお母さん。

だいすきです。

 

 

「さよなら」の言葉は似合わないから、

コロナが落ち着いたら秩父へ会いに行って

お母さんに届くように大きな声で

「ただいま」と言おう。